大判例

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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2322号 判決

控訴人

太洋観光ホテル株式会社

(旧商号太洋観光株式会社)

右代表者

赤羽正富

右訴訟代理人

松村弥四郎

被控訴人

小田敞晤

右訴訟代理人

足立邦夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、

「原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は、控訴人に対し、金八九万三四〇〇円及びこれに対する昭和四七年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」

旨の判決並びに右第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴代理人の陳述)

一、本件責任約款の法的性質について

河野万里子が控訴人に対し指名客の飲食代金等の支払に関し一切の責任を持つ旨約束した本件責任約款は、河野が控訴人に対し指名客の飲食代金の取立及び入金の義務を承認したものにほかならず、これを単に指名客の飲食代金債務につき保証または連帯保証したものと解するのは相当でなく、指名客の飲食代金債務とは別個に、河野においてその指名客の飲食代金を取立て、これを控訴人に入金すべき独立の債務を負担したものと解すべきである。

二、本件責任約款が公序良俗に反しないことについて

指名客を来店させ、これに掛売するか否かはホステスたる河野が決定するのであり、控訴人は特別の場合(暴力団員の来店など)のほかホステスが来店させる指名客を拒否できないのであつて、制度自体がホステスと指名客との信頼関係に立脚しており、指名客の住所職業支払能力等についてもホステスのみが知つていて、控訴人は知りえないものである。また、ホステスは、純売上高が増大するに応じ、報酬としての保証金が増額されるだけでなく、契約書記載の純売上高を達成した場合には、報奨金名下の仮渡金が本支給されるのであるから、控訴人のみが過大な利益を得るものではなく、ホステスの利益も大きいのであるし、ホステスが控訴人に指名客の飲食代金を立替払した場合でも当該ホステスは客にこれを請求できるのであるから、ホステスに不当に過酷な負担を強いるものでもない。それに、河野は、入店に際し控訴人の提示する条件に不満であれば、入店しなくてもよく、また指名客を取らないいわゆるヘルプとして入店する自由を有していたのであるし、そもそも、好況下、ホステスが不足し、店は資金とスカウトを使用して、好条件でホステスを集めることが店の運命を決することから、かかる制度が生まれたもので、いわゆる売れつ子は好条件でしか入店せず、そこには経済原則が働き、店は決して優越的地位になどなかつたのである。

以上のとおり、本件責任約款は公序良俗に反するものではなく、控訴人が河野と取りかわした契約書は概ね業界一般が使用しているもので、右の合理性を無視してこれを無効とすれば、業界はなりたたず、ひいてはホステスの生活権をも奪う結果となるものである。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一請求原因1ないし3及び同6の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、請求原因4及び5の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二被控訴人は、本件責任約款は公序良俗に反し、無効であると主張(抗弁1)する。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)  控訴人の経営するクラブ「ロリータ」には、ホステスの募集、特に他店からこれを引抜くこと等の仕事に従事するスカウトといわれている職員を置いており、河野万里子も右スカウトの勧誘により他店から「ロリータ」に勤務するようになつた。河野は、「ロリータ」に入店するに当り、本件責任約款が記載されているほか在店中不正の事実が判明しまたは発生する虞のある場合は即日解雇されても何ら異議の申立をしない旨の記載のある入店誓約書(甲第一号証)を差入れ、今まで勤めていた店に対する債務の弁済資金等に当てるため控訴人から金一五万円を前借するとともに、控訴人との間に、勤務時間を午後七時から午後一一時四五分までとし、保証金と称する固定給を一日八五〇〇円とする、ただし右保証金は河野が純売上高で一か月一〇万円ないし二〇万円をあげることを基準とするもので、純売上高が右を上廻るときは出勤時間は右より遅くてもよいが、そうでない場合に遅刻すると三〇分毎に右日給の三〇パーセントずつが控除され、早退についても右に準じること等の勤務条件が取り決められた。

(2)  ところで、いわゆるホステスのなかには、雇入れる際前述したような入店誓約書のようなものの差し入れを求めないヘルプと呼ばれる者もおり、ヘルプは、原則として、特定のホステスを指名してくる顧客(指名客)をとらず、掛売も許されないので、指名客をとりこれに対する掛売が許されるホステスより待遇が悪いのが一般であるが、右の区別は必ずしも厳格なものでもなく、ヘルプのなかにも高給で雇われる者もいるし、また指名客をとることが許される場合さえあり、ヘルプでなく入店誓約書を差入れるいわゆるホステスでもその雇傭条件はまちまちであつて、なかには店が雇入れるホステスに対し一定の売上高を達成することを条件に一定額の報奨金を支給することを約し、しかもこれを仮渡金として入店の際ホステスに前渡しする例もあるが、河野については右の報奨金支給の約束はもとよりその前渡等は一切されなかつた。

(3)  「ロリータ」では、顧客に対する飲食の提供はすべて控訴人の計算に基づいてなされるが、特定のホステスを指名した顧客にいわゆる掛売するかどうかは、暴力団員であるとか前に飲食代金の支払に問題のあつた者等特別の場合のほか、当該ホステスの判断に任せ、欠勤しているホステスを指名する客に対しても、売掛台帳を調べ過去に当該ホステスの指名客として掛売した事実があれば、当該ホステスの顧客として掛売を認めている。掛売をしたときは、売掛台帳の当該ホステスの勘定項目に顧客名と飲食代金の内訳明載を記帳し、通常、当該ホステスにその請求、集金をさせるが、右の請求、集金は、原則として、当該ホステスの名においてするのではなく、「ロリータ」発行の請求書を持参して、控訴人の名においてされる(もつともホステスのなかには、右の請求書に自己の銀行口座を書込んでこれに入金するよう指示する者や当該ホステス名の請求書を別に作成して自己の名で請求、集金する者もいるようである。)。

(4)  掛売した飲食代金は、ホステスの請求、集金をまつまでもなく顧客が直接控訴人に支払う場合もあり、ホステスが行方不明となつたり、入金の著しく遅れるようなときや、ホステスが特に希望する場合には、控訴人がホステス以外の従業員に命じて直接顧客から取立てる場合もあるが、しかし、控訴人は指名客についてはその住所、勤務先等を一般に把握していないばかりか、ホステスが取立てた代金を現実に支払つた顧客の入金とせず、古いこげつき債権の弁済金として控訴人に入金することがあるなどのことから、顧客の入金状況さえ正確にはつかんでおらず、控訴人は掛売した飲食代金の回収をほとんどホステスの請求、集金に頼つているのが実情である。そこで控訴人は、月単位の計算でホステスが一定の期日以内に売掛飲食代金を取立てて控訴人に一定額以上の入金をしたときは、入金した金額に応じて一定割合の歩合金(報奨金)を支給し、他方一定期日(おおむね六〇日)を経過してもホステスから入金がないものについては、当該ホステスの給与からその一定割合をカツトし(右の未収金全額を給与からカツトすることもある。)、場合によつては当該ホステスが掛売することを禁止し、前述したヘルプにしてその日給である保証金も減額する場合もある。なお、右の保証金は月々の売上高が定められたノルマに達しないホステスに対しては減額されることがあり、他面売上高がノルマより伸びているホステスに対してはこれが増額される(ただし、右の場合の保証金の増額も必ずしも制度的に保障されているものではない。)。

(5)  河野万里子が昭和四六年一一月二九日から昭和四七年二月一〇日まで「ロリータ」に勤務して得た給料の総支給額は四一万八五五〇円、諸費用控除後の支給額は三八万六〇一〇円であり、その間に本件責任約款によつて支払うべきものとされた未払債務は、八一万八四〇〇円に達した。

以上の事実を認定することができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定した事実によつて考えるに、控訴人と河野万里子との間に締結された本件責任約款は、河野が控訴人に対し指名客の飲食代金の取立及び入金の義務を承諾したものにほかならなず、指名客が控訴人に対し負担する飲食代金債務とは別個に河野においてその指名客の飲食代金を取立てて、これを控訴人に入金すべき独立の債務を負担する趣旨のものと解される。しかし、右認定した事実によれば、河野が控訴人に従属して控訴人の顧客を接待する労務を提供する関係にあつたことも明らかであり、本件責任約款を定めた前記入店誓約書は河野が控訴人と右の雇傭契約を締結する際、控訴人の求めに応じて差入れたもので、控訴人が経営者としての優越的地位を利用しで経営者が本来負担すべき掛売によつて生ずる危険を回避して、自ら顧客から取立てるべき飲食代金を自己の被用者であるホステスに支払わせてこれを容易に回収しようとするものである。しかも、本件責任約款によれば指名客の飲食代金一切につき河野が責任を負うというのであるから、河野の右債務には全く制限が付せられておらず、掛売するかどうかの一次的判断は河野に任せているというものの、河野には売上高につき一定のノルマもあつて、むやみに掛売をことわれない弱い立場にあり、ひとたび掛売することになるとその額は河野の意思とはあまり関係なく控訴人や顧客の意思によつて決定される関係にある。なるほど、河野は売上高を上げることにより日給である保証金が増額されたり、一定期日までに売掛飲食代金を取立てて控訴人に入金することによつて報奨金の支給を受けるという利益を受けることがあるが、これも必ずしも契約上確実に保障されているものではないし、反面一定期日までに指名客の売掛飲食代金を取立てて入金できなかつた場合には給与からカツトされること前述したところであり、これらを彼此検討すれば、本件責任約款は、控訴人が従業員である河野に不当に過酷な負担を強いることによつておおむね控訴人が一方的に利益を得るものといわざるをえない。そのうえ、本件責任約款は、河野が退店しようとする際には、理由の如何を問わず、五日以内に指名客の飲食代金につき支払の責を負う旨を定めているのであるから、退職の自由をも事実上制約することになるものである。

右に述べたような内容を有する本件責任約款は、公序良俗に反し無効のものというべきである。

そうすると、本件責任約款が有効であることを前提とする控訴人の本訴請求部分は理由がなく失当である。

三よつて、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(安岡満彦 山田二郎 堂薗守正)

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